洞窟 石灰洞 

石灰洞(鍾乳洞)

 石灰岩地帯に雨や地下水などの浸食で出来た洞窟を石灰洞といいます。石灰岩は主にサンゴや動物や貝などの死骸が堆積して、様々な作用を受けて形成した出来た岩で主成分は炭酸カルシウムです。石灰岩は地表の雨水や地下水によって浸食されてできた洞窟で鍾乳洞とも言います。県内の那賀川流域は石灰岩の層が多く各地で小規模の石灰洞があります。
日店洞(ひみせどう)那賀町 ※現在は入洞禁止
 
 昭和28年に那賀川長安口ダム建設での道路付替え工事で岩盤を切り取った際に発見された石灰洞。その以降が数十回に渡って内部の測量や生物の棲息調査を行われる。希少な新種の生物が発見されたが観光洞にみられる美しい鍾乳石群の世界は殆どなく、狭くアップダウンが多く、落盤の危険箇所もあって観光化には至らなかった。昭和40年8月以降の学術調査を契機に「徳島県の洞窟動物相」著者の木内盛郷氏・吉田正隆氏が平面図を作成された。
    左平面図は昭和40年に学術調査にて吉田氏らが作成。道路に露出した主洞口から傾斜を下って地下1階ロビーに出る。右に深さ11mの竪穴井戸があるので要注意。底には水があるが冬季や渇水時でダム湖の水位が下がると空井戸になる時もある。主洞は長さ約40mだが、各所に上下左右に分岐穴があり。地下3階ほどのアップダウンの層を巡りまわって連結している迷路のような複雑な構造が特徴的です。R5年に本洞途中より下に折りるルートを発見したが入洞禁止となりき調査は中止。
日店洞清掃保存会 
 H28年頃に入洞した際に洞内の地下1階ロビーと主洞は落書きとゴミの山で酷い状況でした。令和3年に那賀町で古民家民宿を営むY氏と出会い、彼も以前よりその状況を憂いていて意気投合。希少価値の高い日店洞を元の環境にと清掃会を立ち上げました。

  目 的 那賀町の希少な自然遺産の日店洞の内部と周辺の投棄ゴミの清掃して環境の美化をはかる。
  活 動
・洞内外に投棄されたゴミの回収、清掃、除草等清掃活動、
・不法投棄をなくすための看板の設置など行う。
・洞内の平面図の再編の調査をすすめ、危険個所や、落盤、風化等の状況を観察する
  設 立  令和4年10月1日   ●事務局 花瀬庵(那賀町花瀬)吉岡

ひみせ洞清掃保存会活動記録
 実施日 内 容  参加者  実施日 内 容   参加者
R4 9.28  清掃・案内下見T  2 R5 6.4  道路ゴミ清掃 6
  10.3  県職員研修~洞窟清掃  9   6.25  井戸下調査、徳ヶ谷沢登り 3
  10.9  ルート調査~井戸下  3   7. 1  道路清掃、看板設置コース下見 7
  11.19  Aクライム支点構築  2   8. 7  洞窟案内 Y,T 4
  12.10  洞内清掃、B2、B3調査  5  9,810  日本洞窟学会大会研修参加  
R5.1.27 那賀相生支所-区画,地権者調査  1  9.20  清掃準備、案内下見  1
      3.2   コース設定調査  1  10,3  県職員研修~清掃、潜入体験 12
   3.25 道路ダム湖ゴミ回収、洞窟潜入   1  11.16  ルート下見  1
  3.27 上那賀支所より回収協力、
 ゴミ袋、啓発看板を提供
 1 12.9~,10 大阪大学探検部研修案内  1
 12.16,  第1回総会  ・下層ゴミ回収  7 R6. 4.6~7  大阪大学探検部研修案内  8
 令和6年5月より日店洞への入洞は禁止になりました。
 那賀町上那賀支所と会メンバーのご支援・ご協力により
、ゴミ捨て場と化していた日店洞は毎月1〜2回の洞窟内外の清掃活動を続けて1年半で見違えるほどゴミのない状態に戻ってきました。けれど令和6年4月に地権者の申し入れにより入洞禁止になりました。まだ洞窟下層部にゴミが残っていること、平面図には載っていない支洞の発見により平面図再編の測量、崩落のリスクのある危険箇所の状況観察等の調査活動を予定していましたが断念して保存会の活動は休止となりました。


 
桃源洞(とうげんどう)那賀町木沢
 桃源洞(木沢洞)は那賀町木沢高野地区に鎮座する西三子山(1349m・通称ヒズカ山)の中腹にある鍾乳洞

 昭和30年に地元の子供と青年によって発見された。「ヒズカ山の中腹に大きなほら穴があり、大蛇が棲んでいる。穴の入口には白髪の爺さんがいて人が近づくと来るな、来るなと手を振って追い払う・・」という伝説を確かめようと地元の小学生と二十歳の青年が探検気分で遊びに行き発見した。それから専門家が3回にわたって調査された。

■桃源洞(第1洞)4つのうちの最大の規模 洞口高さ5m、幅7m、2層あり長さ85mの横穴 
 ・第1次調査(昭和30年7月)に県教育委員会と多田伝三氏、地質研究家篠原勇氏が調査。結果無数にぶら下がる鍾乳石と石筍は県下一との折り紙がつけられた。更に未発見の鍾乳洞の存在を示唆。
 ・第2次(昭和32年5月)京都大学上野俊一教授により新種昆虫トウゲンメクラチビゴミムシを発見。
 ・第3次(昭和42年)県高校教諭昆虫学者木内盛郷氏、吉田正隆氏によりアワメクラワラジムシ他12種の昆虫を採集。
 ・第4次(昭和44年8月)
 剣山県民の森学術調査団が4つの洞穴の調査をする。
 第1洞:見事な自然の彫刻の鍾乳石や石筍は300年で1㎝伸びるという。20㎝前後のものもあり、6千年かかって形成され県下一の鍾乳石と評価。
トウゲンチビゴミムシ、アワメクラワラジムシを採集。ワラジムシはかつてバルカン半島で発見され日本では徳島県だけに生息する。ということは徳島は欧州と陸続きだったことの証明となる。

以上の結果をふまえて桃源洞は約2億年前に生まれて形成されたと思われる。
洞窟内の温度・・・夏は涼しく冬は温かい。年間を通じて14~15℃。
※郷土資料「木沢村史」、ほか学会文献より引用

4回にわたる調査で 桃源洞の周辺には第2、3、4、5洞の調査確認がありますが、資料がなく場所は不明です。興味ある方は洞窟探索ご協力を願います。
 ・第2洞・・・第1洞の南東約350m、深さ20m、洞口5×8のタテ穴
 ・第3洞・・・第2洞の北東約50m、洞長さ30mの横穴
 ・第4洞・・・深さ18mのタテ穴で入口狭いが底部は直径10mほどのフロアホール
 ・その他・・・? さらに700mほど北にある深さ15mほどの小さなタテ穴
 

若杉山(わかすぎやま)阿南市  
 四国88ヶ所20番札所鶴林寺から21番太龍寺へ向かう那賀川支流若杉谷川に沿った遍路道に露出しています。日店洞とよく似て泥岩の混じった石灰洞で枝穴の多い迷路状の構造です。主洞でも進むには大人には狭い。主洞の長さは約20m程で出ると服がドロドロになります。遍路道沿いで、国指定若杉山辰砂採掘遺跡のエリア内にあるので入洞活動はしていません。
 
 
ケイビングの装備
服装、装備 ※日店洞
 
日店洞はダム湖の旧道路の山側脇に洞口があり、入って5mほど急傾斜を下ると深さ11mの縦穴があるロビーになる。主洞は50mほどの下り傾斜の横穴ですが、途中で上下3階に枝分かれや出合いのある支洞が巡っているアリの巣のような迷路構造。支洞をトータルすれば300mほどある。支洞は落盤や風化がすすむ危険な箇所もあり、鋭利に割れている岩や登り下りの急傾斜もあるのでロープ確保装備は必要。洞内は四季を通じて8〜17℃、湿度90%の暗闇、泥の層が混じっていて下層はダム湖とつながって水があり貯水量により変動する。降雨後はドロドロに汚れるのでカッパ生地が洗いやすいが引っ掛けて破れやすい。
 ヘルメット  小さめでツバのないものライトホルダーのあるものが最適だが、ない場合はテープで貼る
ヘットランプ  ライトは最重要。予備ライトと合わせて2個を持つ。電池予備も必携
 つなぎ服  ケイビングでの定番服。中で汗で濡れやすいので地は乾きやすい化繊が良。
カッパ カッパは岩で破れやすいが、使用後の泥を洗い落としやすいので後がラク。
マスク 、タオル  
手袋  作業用ゴム手袋が最適。軍手でも可
 手合  作業服の店にある厚い綿生地のもの 
靴   底の硬いくるぶしを覆う高さのある靴がいい。ない場合は長い厚めの靴下でカバーする。竪穴があるので長靴はお薦めできない。汚れてもいい古い登山靴でいい。
 靴下  足裏、足首を覆う厚手で長い靴下が良。薄手なら重ね履きを
脚絆・スパッツ 作業用服店にある布地の脚絆又は破れてもいい登山用のスパッツ
下着 下着(アンダー)は重要。洞窟内は高湿度なので汗をかきやすく下着が濡れるので乾きやすい化繊生地の速乾性のもの。冬は厚手もありますが薄手を重ね着するのもいい。
中間着 上は山用襟シャツ、化繊Tシャツなど下はタイツ、股引かジャージズボン
登山ベルト 簡易ハーネスとして
バック 出来るだけ小さめで破れてもいい古いもの
ロープ   8〜9㎜ 20m程度
スリング クライミング用。登攀や下りの確保支点用・簡易ハーネスとしても代用。
カラーテープ   行動ルートの目印としてつけていき帰りに回収
 カラビナ
ヌンチャク
 スリングと合わせて使用。4〜5個
平面図  洞内地図やスケッチ用紙をクリアファイルに入れて準備。メモ、
救急薬   湿布、包帯、ガーゼ、絆創膏、消毒液、綿棒、三角巾、ハサミ、内用薬他
その他 非常食、飲み物、水筒他、メモ、筆記具